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PTA会長 佐藤 直恵
会員の皆様ますます健やかにお過ごしのことと存じます。 船橋西高校同窓会報の創刊おめでとうございます。 平成19年度の会長をお引き受けし『楽しくなければ西高でない』をキャッチフレーズに役員の皆さんに支えていただきここまできました。 親子・兄弟で西高に通っておられる方が多く、我が家も兄弟で西高生です。 現在の船橋西高校の様子をお知らせいたします。 同窓会のご協力により平成17年に30周年記念行事が行われ現在創立33年を迎えました。 平成20年度から二学期制の普通科単位制高校として新たな第一歩を踏み出します。「進学目標型単位制」は各自の進路や興味関心・能力に合わせた多様な科目選択を可能とするシステムです。 平成23年度には、船橋旭高校と統合されます。現在各学年6クラスで全校18クラスですが、統合に伴い来年度の募集定員が1クラス減の5クラス200名となりました。校舎は残りますが学校名が変わってしまうことは寂しいものです。 年末に県立船橋特別支援学校で西高吹奏楽部によるウインターコンサートが行われました。その時、校長先生から「西高卒業生が、授業交流で知り合った車椅子の生徒に駅で声をかけ、電車に乗る手助けをしてくれた事を、とても喜んでいました」とのエピソードをお聞きしました。『共に育ち合う』大切さを感じました。 寒い日が続いておりますが、健康に充分に留意され、ますますご活躍をして下さい。
校長 中島 久
船橋西高は昭和50年4月11日、塚田小学校で開校式を実施した。「戦後」という言葉にまだ実感があった創立当初からの満33年になる長い時間の経過を思うと、西高の歴史の重みを感ずる。昨年度着任した時は30学級規模の校舎の巨大さ、造成当時の面影を残した校地を囲む斜面の荒々しさに強い印象を持った。長津川の川筋を移して造成した土地で地下水脈が残り、地盤沈下が激しかったことが当時の教育界の話題になっていたことも思い出される。今でも大雨の後は舗装の下の土の流出が続く。 生徒達は少し覇気に欠けるようにも思うが多くは素直で優しい性格で物の考え方と行動が堅実な印象である。前貝塚の住民が学校に批判的であるとの話を聞いていたが、30学級当事と比べれば登校時の混雑も緩和され、住民も高齢化した。高校生が街を通るのは活気があって頼もしいという空気になってきている。お年寄りが困っているのを助けて礼状をいただくという嬉しい出来事も時々ある。地域の人々に愛される学校であってほしいと、校長としても気配りに努めている。 20年度からの単位制・二学期制の準備がひと仕事と思っていたら、23年度の船橋旭高との統合という重い課題がさらに重なったのは同窓会の皆様もご承知の通りである。校名等は変更も予想されるが、幸いに西高の校舎が使用されることとなった。西高の良き伝統を新高校につなぐべく生徒一同奮励努力せとよ激励しているところである。旭高と連携しながら理想の新高校づくりに職員一同努力する所存でありますので、同窓会の皆様には特段のご尽力とご叱責をお願い申し上げます。 同窓会には30周年記念事業実施を始め教育方針・校歌の額作成(田中教諭揮毫)、短期海外留学の支援、時計台設置等々、ここ数年も学校に対して数え切れないご高配をいただいている。課題山積の中で皆様からの温かいご支援に生徒・職員一同励まされていることに衷心から御礼を申し上げ、後輩の生徒達への何よりの励ましとなる、皆様の益々のご活躍を祈念してご挨拶といたします。
寒さが、一段と、つのってまいりましたが、ご無事にお暮らしでございますか。昭和五十三年に卒業、第一期生で現在、西高同窓会長を務めています、能勢大弘(たいこう)と申す者です。西高在学中の名は大弘ではなく勇之(ゆうじ)と申していました。現在は、勝田寺の住職です。
村田 泰一 (在職期間S50〜S56)
『西高の思い出』
石島 将也 (在職期間S50〜H4)
退職教員の機関誌で「釣り」の投稿記事を見つけた。その中に中国の諺で「一時間幸せになりたかったら酒を飲め、三日間幸せになりたかったら結婚しろ、八日間幸せになりたかったら豚をつぶして食べろ、永遠に幸せになりたかったら釣りをしなさい」。釣りの面白さは進歩し続けることにある。釣行ごとにデータをとり反省工夫を重ね挑戦を繰返す。波間に浮かぶウキを見つめていると色々な事を考える・・・自分はクラス担任として適任だったのか?クラス集団は生まれも育ちも違う異質な人間達のふれあいである。生徒同士相手の癖にこだわり改善を要求すると人の心を傷つけ和が壊れる。等格であるべき人間の価値観を尊重したクラス運営ができたのか。卒業後は肌が合わない人間がいても無視する(プライバシーの尊重)生活ができているか・・・。 母校がなくなると少し淋しい。しかし魚類は絶滅に近づき、さらに温暖化で校舎が海中に没する日は遠くない。
吉村 雅夫 (在職期間S57〜H3)
『若き良き楽しき日々』
定年まであと三年となり、回りからは老先生と見られているであろう私も、船橋西高校に着任した時は三十一歳の青年教師でした。 部活動では、佐々木先生、加藤先生、本田先生たちと順次一緒にサッカー部の顧問をしました。生徒と一緒にボールを蹴ったこと、毎週のように練習試合をしたこと、市民大会で優勝したり、県の新人大会でベスト16に入ったことなどが懐かしく思い出されます。 当事の教頭であった故伊東正雄先生との出会いによって、英語教師として一番勉強した時期でした。この時期に勉強した教科指導法は現在の指導法の基盤にもなっています。また、英語科が中心になって、留学生を迎え入れ始めたり、ALTのベース校になったりで刺激ある毎日でした。生徒たちは良く勉強をし、文化祭もクラス演劇をやるほど活動的で、私も劇に出演しました。生徒と共に過ごした楽しい十年間でした。
小西 薫 (在職期間H6〜H15)
私は1994年度から2003年度までの十年間勤務しました。この間、生徒会、バドミントン部・剣道部・福祉研究同好会の各顧問、西高最後の年度に男子クラスを受け持った担任等、とても充実し思い出十年間でした。 その中で福祉研究同好会顧問は特に印象に残っています。主な活動は、募金活動・書き損じのハガキの回収・障害のある方に優しい街づくりの研究」をテーマとした調査活動及び文化祭での発表・そして中心となった活動が、千葉県立船橋特別支援学校の生徒との交流でした。 特別支援学校の運動会、文化祭、バザー等に参加することから始め、校外学習への参加や西高吹奏楽部・合唱部・LMD同好会合同によるクリスマスコンサートを開催したりと交流の輪を少しずつ広げていきました。 初めは遠慮がちだった両校の生徒たちも次第に打ち解け、楽しそうに交流している姿が印象的でした。こうした交流を通じて両校の生徒は確実に成長していると実感しました。 最後に、こうした意義のある交流は両校の先生方のご理解とご協力がなければ実現できませんでした。感謝申し上げます。